こんにちは、Shoheiです。
わたしたちは普段、事実と解釈の間で物事を判断しているようです。
事実と解釈とはとても似ているけれど、違った側面を持っていて、わたしたちはその二つが存在するということを頭に入れておくだけの価値があります。
百聞は一見に如かずと言うように、わたしたちの事実と解釈に対する物事の観方を考えていこうと思います。
あなた自身の大切さを思い出そう
百聞は一見に如かずという言葉では、人から百回聞くよりも自分の目で一回見るほうがより見識に勝るという意味だと思います。
実際に行動するのと、行動しないのでは雲泥の差があるように、自分の目で見て、経験したことというのは、わたしたちの頭の中に強烈な印象として残ります。
水泳の本を読んでも泳ぎ方を知ることができるかもしれませんが、泳げるようになるのは実際に水の中に入ってみることです。
わたしたちが解釈することも大切ですが、事実も大切です。
本当に価値あるものが解釈なのか事実なのかというのはわかりません、けれどわたしたちは価値を創造できるのです。
それは解釈か、事実か。
解釈と事実とは外見ではとても似ています。
しかしそれはふたを開けるまで中身はわかりません。
わたしたちはよく、事実と解釈を混同しますが、それは時に実際にみてみるまで分からないことがあります。
だから常に、自分自身にこれは事実なのか、解釈なのかという問いかけをしてみましょう。
もちろんその事実や解釈に答えが出ないこともあるでしょう。
しかし、そうした思考をする習慣は、わたしたちの力になることもあります。
わたしたちが事実と解釈を誤って判断しないためにも、自分自身への問いかけを行いつづけてみてもいいでしょう。
自分の目で見るとまったく違うことがある
わたしたちは、現在情報化社会に住んでいて、そこには数多くの情報があります。
わたしたちはそれらの情報に、真実もあればそうでないものもあるというのを知っているので、まずは確固たる自分の判断能力が必要です。
携帯の中にある写真も、同じ写真でも、わたしたちが撮った写真と、ダウンロードした写真を持っていても、同じ写真ですが、まったく違う経験によって写真と言えることもできます。
それは経験の違いや、その写真に対する思い入れの違いなどがあります。
実際にみて撮った写真、ダウンロードした写真同じものだとしても、まったく違う写真にもなるという不思議な状態があり得るのです。
自分の五感で判断する
わたしたちにはそれぞれ十人十色の考え方があり、絶対というものはほとんどありません。
だから、自分にとってより良い判断、自分が正確だと思う判断を考える能力を活用して、自分で判断をすることが求められています。
わたしたちの判断は、わたしたちが最良のものを求めれば与えられるものです。
もしそれが、最良の判断ではなかったとしても、あなたにとってより良い判断ができたならそれが最良の可能性を秘めています。
完璧と言うのは難しいかもしれませんが、より良いを目指すことで完璧の方向へ向かうことができます。
さいごに
今まで難しいと思っていたことでも、よく考えてみるとその答えは実はシンプルなものだったりします。
本当に価値あるものは、実は私たち自身がよく知っていたりすることがあります。
しかし、他人が言うことよりも自分の判断に価値あることを忘れてしまっている人もいます。
本当に価値あるものは、わたしたちのすでにあるものの中にあります。
だれかに聞くよりも自分で行動することの方が価値があるように、わたしたちの行動をより良いものにしようとするとき、本当に価値あるものが生まれるのだと思います。
しかし、素直に人の言うことを聞けるようになることも、一件落着のためには大切です。
最後まで読んで頂きありがとうございます。