こんにちは、Shoheiです。
昨日ふと、素粒子の話を目にしました。
この世界は素粒子でできている、素粒子とは目に見えない物質で、とても、とても小さいものだという話です。
目に見えないけど存在するというのは、わたしたちは何となく理解できますよね。
しかし、物質的な外面世界のものと、形のない内面世界のもの。
どちらが大切なんだろうとか、思うこともあります。
わたしは、内面世界も外面世界もどちらもたしかに大切だと思うのですが、内面世界の方がよりその良さに深みがあって、価値あるのかなと思います。
今日はそうした外と内にまつわることを書いて行こうかなと思います。

素粒子からみる内面
昨日の内容では、わたしたちは原子から成り立っていることで、原子には電子と原子核があり、その原子核の中には陽子と中性子があり、さらにその中に素粒子があるというものでした。
わたしたちは全て素粒子から出来ていて、すべてのものが素粒子だとしたらという話でした。
素粒子は目では見えないものです。
それは原子の中の原子核の中にあるまさに内面の存在かなと思いました。
内面のものがすべてを創造しているとする考えは、一切は空という考えや、宇宙一元論としても解釈できるかもしれません。
内面世界は見えない存在
わたしたちは、目に見えないものが存在するというのを何となく気づいています。
酸素なども、目に見えないけれど、存在するというのは知識として知っていますよね。
身体と精神はわたしたちの内面世界と、外面世界の一番わかりやすい例えになるかもしれません。
どれの方が一番大切というのはなく、それぞれが大切な存在ですが、どれかを疎かにしても、いい結果になるとは言えません。
ですが、内面のエネルギーは外面の世界にあるものを内包しているという考えもあるのです。
つまり、目に見えないものが、わたしたちの周りにある物質を創り上げている。
それはつまり、内面の持つには、外側の物質を構成するエネルギーがあるということです。
一粒の種子を土に埋めると成長し、種の状態からは想像ができなかったような、芽を出すように、内面的なものは外面のものを含むということがあります。
わたしたちが見ている世界も、まず最初に内面があり、そこから外面的なものへと成長しているとしたら、見えないものの影響力は想像以上に大きいのかもしれません。
形のないものが内面から外面にあらわれる
形のないものにはほかにも時間があります。
時計そのものが時間ではありません。
時計とは、時間を外面的に表したもので、物質的なものです。
しかし、時間そのものは内面的な存在です。
わたしたちの内面が時間というのを認識していて、時間そのものには形もないものです。
しかし、今までの経験から昼には明るく、夜にはくらいということを知っています。
内面にあるものは、外にも現れます。
しかし、外側のものが、内面の存在と一緒とは言えません。
さいごに
わたしたちの内面には素粒子があります。
もしあなたが、問題につきあたった時、違う目線でみれば普段は無い面からソリューションを発見できるかもしれません。
最後まで読んで頂きありがとうございます。