人から理解されるという状態を誰もが望みます。
それには必要な原則と言うのがあります。
人を理解するには、理解しようとするわたしたちの姿勢とおなじように、相手が理解してもらいたいと思う必要があります。
理解とは、一方通行ではなく、双方の行動によって成り立つものです。

一方通行の理解はない
わたしたちがもし一方的に相手のことを理解しようとしても、それは本当の意味での理解とはならないのです。
理解するというのはコミュニケーションにとって最善の状況になりえます。
これはあらゆる場面で必要なことであり、一般的に見られるものです。
話し手がいるならば、聞き手が必要なものです。
同様に聞き手がいるというのは、話し手がいるから成り立つものです。
けれど実際は、わたしたちの多くがごくごく当たり前の事実を見逃してしまうこともあります。
誰かに理解されないと感じたことは誰でもあると思います。
実際に理解するのは大変なエネルギーを使うものです。
理解したいという思いが理解を加速化する
誰かに理解されたいと望む人がやるべきことは、まずは相手のことを理解をしようと望むことです。
一見回り道に見えるかもしれませんが、相手を理解することが最短ルートにもなりえるものです。
人はそれぞれが違います、考え方は十人いれば十通りあります。
わたしたち一人の考えでは到底到達しないような考えや経験を持つ人が沢山います。
自分以外をみな師と思うように考えてみれば、あらゆる人から学ぶことができます。
子供とは理解の達人です。
子供同士が喧嘩しても、翌日には仲直りしていてすっかり忘れているということもあります。
しかし大人になるにつれて、目の前の人から学ぶことを忘れてしまいます。
最初からすべて理解できる人はいない
最初は理解するということが大変だと思うかもしれません。
理解をするにはエネルギーを使います、理解するというのは時に受け入れがたいことを受け入れることでもあるのです。
言葉というのは完全なものではありません、一つのツールにすぎないのです。
同じトンカチとくぎを使って、プロの大工は家を建てられるかもしれませんが、物づくりの経験のない素人では、いすや机が関の山かも知れません。
ツールは道具であり、使う人により変わるものです。
言葉だけに完全な理解は得られません。レモンの味は酸っぱいと言われても、レモンを食べたことのない人にはレモンを分け与えることで、より理解が深まります。
むすび
理解とは優しくもあり、難しいものでもあります。
何もしないという言葉にも、「何もしない」とそのまま受け取れるかもしれません。
しかし、「何もしない」ということをしている。
と考えることもできます。
一方的な理解はありません。理解は双方があって始めて成り立つものです。
誰かから理解されたいと望む人は多くいます。
それならば、まずは人を理解してみようとすればより一層理解が深まり、道が拓けるようになるでしょう。
わたしたちがこれから出会う人たちの多くが、「わたしと同じ意見のものはいないか」と望んでいます。
誰かを理解できるようになったとき、より良い人生に一歩近づくのだと考えています。
最後まで読んで頂きありがとうございます。