人によって物事の見かたが違うということ。
ほかの人の物事に対する観方は変えるのはできないかもしれないし、できたとしても大変かもしれない、しかし自分の物事の見かたを変えるのは人を変えるよりずっと容易です。
ありのままをどのようにみるかと言うのは、習慣の一つです。

あらゆる物には別の面が必ずある
どのように物事をみるかをわたしたちは常に決定しています。
そして多くの場合一方の面から見ることで、それが全体だと考えてしまいます。
どんな紙にも表面と裏面があるように、まずは全体像の中にも自分にしか見えない面と、まだ気づいていない面があると考えてみてください。
物事の見かたが変われば、考えかたが変わり行動が変わります。
何かを得ることは、何かを失うこと
わたしたちは毎日あらゆる選択をしています。
その選択は些細な事から重大なことを決定しています。
一つの選択肢があるということは、それとは違うもう一方の選択があるということです。
何かを得るということは、それと引き換えに何かを失っていることでもあるのです。
もしわたしたちが旅行に行く選択をすれば、それとは違うことをできる時間を失っているのです。
それには正しいというのも、間違いもありません。
旅行に行く時間で仕事ができたのかもしれません。
旅行に行かずに、近くの行きたかったレストランで食事をしないという選択をしたかもしれません。
わたしたちの選択肢の道は、わたしたちが創れるものがあれば、道路のように整備されている道もあるのです。
何もしないというのも、行動の一つ
瞑想は昔から人々の間で行われてきた習慣の一つです。
日本では座禅と言われる行為も瞑想に似ているものだと思います。
現代でも多くの人が瞑想と言う習慣を取り入れています。
もしかすると瞑想は一見何もしない行為と見えるかもしれません。
しかし、何もしないと言えばそうかもしれませんが、行う人物からすれば何もしないということをしていると考えているかもしれません。
何もしないという事と、何もしないということをしているとすればまったく違うものです。
むすび
わたしたちが行う行動もすべて何かしら意味があることだとすれば、そこに価値を持たせるのはわたしたち自身です。
瞑想でも、わたしたちが何もしないという行動を選択すれば瞑想になりますが、ただ何も考えずに座っているという風に言えることもできます。
何もない紙にも、わたしたちが文字を書くことでそれに価値を持たせることもできます。
あらゆる物事は「すべてよし」と考えてみれば、自然が良い方向へと案内してくれることでしょう。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
Shohei