あいさつ
あらゆる人が今より良くなることができると信じて、どんな状況でも人々に役立つ知恵があり、ますます良くなるための方法が必ず存在すると思っています。
どんな状況にも明るい面と暗い面があり、光と影は対の存在としてあるならば、わたしたちに役立つ光ある面を発見することは求めることで容易になる事でしょう。
どちらの面に目を向けるか
わたしたちには常にどのように物事を捉えるかという思考が存在しています。
それは明るい面もあり、暗い面のどちらからでもみることが可能ですが、普段はわたしたちは意識することがなく、習慣によってどちらをみているか決定しています。
多面的に物事をみることで、どのようにみるかわたしたちが決定することができます。
多面的に見ることで、明るい面と暗い面だけでなく、主観的な面、客観的な面、感謝できる面と不満だと思う面もあるかもしれません。
ふだんわたしたちは、ある一つの面だけから物事を判断しがちですが、様々な面があると気がついたときに、まったく違う考えを得ることができます。
ふだんわたしたちがどのような考えをしているかというのを知ることは大切な事であり、他の面から見ることができれば、わたしたちがより良くなることも可能です。
「しなければいけない」or「することができる」
わたしたちは行動をするときに二つの言葉を使うことができます。
「~しなければいけない」「~することができる」
どちらもよく耳にすることがある言葉ですが、この二つには明らかな違いがあります。
「~しなければいけない」は受動的な行動に対して出る言葉です。
「~することができる」は能動的な行動に対して出る言葉です。
どちらの方が良いというのはわたしたちが決めることですが、わたしたちの持つエネルギーを引き出す言葉は「~することができる」という言葉です。
言葉という小さな違いかもしれませんが、その違いは後の結果の違いを生み出します。
わたしたちの心には多面性がある
「~しなければいけない」「~することができる」という言葉はどちらもわたしたちの心が生み出しています。
どちらを選択しているのかはわたしたちの心が決定しています。
それはつまり、わたしたちの言葉は多面的な要素を持っているということがわかります。
その代表的なものの二つに理性心と本能心があります。
理性心はわたしたちが思考をすることで養われますが、本能心はありのままの欲望のままに存在しています。
その存在をわたしたちは知っていますが、意識的に用いなければ活用できないものです。
活用するために必要なことは、ありのままの状態だけで判断せずに、自らの手で積極的な選択を行うことです。
理性心と本能心
理性心とはわたしたちの思考によって磨き上げられるものです。
理性をもって普段は行動している人がほとんどですが、その理性には終わりはありません。
理性を追い求めることはいつでも満足に行き着くというものではないかもしれませんが、磨き上げる価値のあるものです。
理性心には完成はありません、しかしわたしたちはその理性心の向かう方向だけを意識していれば、少しづつ目的地へと運んでくれるものです。
本能心は誰にでも存在し、本能心によってわたしたちは働きを得ています。
それは基本的な欲求も含めて、わたしたちの中心となるものです。
お腹が空いたら食事をするという反射的な欲求も含んでいます。
わたしたちの3大欲求と言われるものも本能心から発するもので、誰もが持ち合わせています。
どちらが優れているというのはなく、理性心も本能心も互いが相互作用して影響を及ぼしています。
物事を多面的に見るということは、安直に物事を判断せずに思考を巡らし続け自らの判断で決定をくだすことなのだと思います。
むすび
物事にはあらゆる面から見ることでまったく違う違う印象を受けます。
わたしたちの普段の見かたを少し変えることが良いこともありますが、ときどき見直すことが大切です。
少し考えや普段の言葉を変えるだけでも、わたしたちに影響を与えます。
どのような選択をしているのかは常にわたしたちが決定しています。
より良くなるための唯一の方法はより良い選択をしようとすることです。
わたしたちがまずはより良くなろうと決めることこそ、わたしたちのまわりをよくする最初の方法なのかもしれません。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
Shohei