こんにちは、Shoheiです。
今までこのブログであたりまえと感謝は反対のものといってきました。
けれど今日のタイトルはあたりまえの感謝というもので、どういうことだろうと思う人もいるかもしれません。
あたりまえの感謝というのについて今日は書いて行きたいと思うので、最後までお付き合いください。

何気なく使う言葉に意味がある
わたしたちが普段用いる言葉には、意味があります。
当たり前と言えば、当たり前かもしれません。
しかし、わたしたちが使う日本語の場合、その言葉は今までわたしたちの先祖と現在のわたしたちをつないでいる懸け橋のようなもので、どんな言葉一つにでも、意味があります。
有難うは、有ることが難しいという言葉だと漢字からわかります。
それでも、普段からありがとうをどのような気持で言っているかと考えることはあまり多くないのかもしれません。
漢字にも一つ一つ成り立ちから、その意味があり、言葉というのは本当に奥が深いものだなと思います。
だから、この当たり前に使っている言葉にも本当はすごい力があると思うのです。
実は言葉にできるだけでもそのエネルギーは有ると無いとでは大違いです。
言葉に感謝する
そして、今日ふとブログに何を書こうと考えていると、ある言葉が浮かびました。
それは「行ってきます」という言葉です。
「行ってきます」というのは、わたしたちは普段から使う人も多いかもしれませんが、何気なくいつもの形式上のような感じで使うことも多いと思います。
しかし、それもよくよく考えてみると意味のある言葉だと気がつきました。
行って、気が増す
ふと思ったのが、「行ってきます」は「行って気が増す」ということなのだろか、そんな感じがしました。
家族や、大切な人に行ってきますと言われると嬉しいですよね、それはその人の気が増しているからなのかもしれません。
反対に、何も言わずに出ていくと、気を増す機会を自分から失っているのかもしれません。
言葉にはそれ自体に意味があります。
その意味はわたしたちの先祖から代々受けつがれたもので、日本語には日本の文化などの思想が常にバトンの様に受けつがれているのかもしれません。
言葉とは、人を安心させる力もあれば、人を傷つける力も持っています。
けれど、それをわたしたちはどのように使うか、常に選択肢があると思います。
わたしたちが使う言葉、普段は当たり前に使っている言葉も、改めて考えてみると実は奥が深い、有難い言葉だったということがよくあります。
最後にまとめ
わたしたちが使う言葉にはそれ自体に意味がある、だからわたしたちはできるかぎりより良い言葉を使うことで自分の今の状況もより良くできるとおもいます。
言葉はわたしたちを豊かにすることもできれば、反対の結果を生み出すこともあります。
しかし、昔から大切に使われてきた言葉はわたしたちを豊かにする言葉だから残っているのではないでしょうか?
当たり前に使っている言葉に感謝してみれば、当たり前がどれだけ当たり前じゃないかという気持ちになることもあります。
わたしたちがこれを読んで大切な誰かに「行ってきます」と言えたら、この記事を書いた甲斐があったなと思います。
これを読んでいるあなたも、もし何かこの言葉って実はこう言う意味が含まれているのではないのだろうか?と思ういい言葉があればぜひコメントでシェアしてください。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。